はじめに
さて、大阪府の休業要請が一部緩和され、16日から娯楽施設が営業し始めたのですが…
依然として自粛要請は出されているままなので、もちろん対策したうえで、(移動自体も必要な用事と組み合わせて)ですけど。
ちょっとだけ…だったのががっつり遊んでましたよ…久しぶりの音ゲー楽しいなぁ。
違和感
ただ、その中のある一機種についてですが、
それがあまり面白くないと感じることが多々ありました。自粛前どころか去年くらいから。
そして昨日、少し義務感を感じつつやってたけど、約一月放置してここまで意欲が湧かないならもう放置でいいかな。
むしろ見極め期間が長すぎたとも思う。それが今回一か月の自粛で分かった。正直「つまらない」と感じていた去年くらいには私の中から切られていてもおかしくなかった。
なぁに、ちょっと離れるだけさ。そうして、引退発言するに至ります。
今回はその心境の変化について語ります。
どうしてそんな長期間違和感を感じてまでゲームしてたのか?
昨今の情勢のせい説
まず一つは、貢がなくては撤去されてしまうという恐れがあったこと。
しかしそれは大した問題ではありませんでした。
経営が苦しいとは言っても、その機種には常に人いるし、自分一人いなくなっただけで何ら問題はない。
幸いほかに楽しめている人がいる、やる気がある人に任せりゃいい。
そういう人に機会を譲ってあげてるんだ、と思い込むことにした。
まぁ待ってまではその機種をやりたくはないと思う時点で、既に意欲はなかったのかもしれない。
ただ…これがもし自分以外にプレイヤーを見かけない機種だったら辞めずにだらだらやってた可能性はある。
やってるアピール説
そしてもう一つ、これが今回の主題かなと思ったことは、同じゲームをやってきた仲間に対すること。
かつての仲間に対してやる気がないことをオブラートに包みつつどう表現したらいいか…
行きついた先はそう、引退宣言ってやつです。
自分の場合はそうですね、やってるアピールのために適当に1クレやってなんか上手くいかない中からネタになりそうとか、毎日そんなリザ上げてる気がして嫌になったからですね!
軽く引退して(裏ではやってるけど)SNSではその機種に関する話しなくなるかもだけどよろしく~みたいなノリ。
私も結構他機種勢(のつもり)なので勝手にシフトしてけば良かったのかもですが、ある人の存在が気がかりでね、、、
だから私はあんな発言したんだと思うんだ、、、
もしかして、引退宣言する人の気持ちってこうなのかな?
これは私がいくつかの音ゲーマーを観測してて思ったコトですが、引退発言する人は何かしらの未練を持っているとみています。
その一つが、”つながり”だったのではないかと。
引退するする言う人ほど戻ってきて、本当に引退する人は引退宣言なんてせず勝手にフェードアウトしてく法則
— VRききょう (@kky3ka) 2020年5月16日
私自身、どうしてわざわざ発言した?
まず新しいゲーム買って遊んで面白くなかった時、飽きたときは言及すらしなくなることが多いです。興味ないことに時間使いたくないんだもの。だからレビュー書いた時に全体的にマンセー寄りで否定意見が「つまらない」一言になってしまうのは直した方がいいかな、とは思ってますが…
しかし今回はそれと違い、今までずっとやってきてたタイトルでした。
きっとその発言するかしないかの違いは一緒のゲームをずっと遊んできた仲間に対するメッセージのつもり、だったのではと。
これが多機種勢なら他機種の話に徐々にシフトして行って、そのうちフェードアウト、って人が多いように感じますね(主観です)。
引退発言しても戻ってきてしまう人って、他に何もないから、また繋がりを求め戻ってきてしまう。
まぁ、あまりにすぐ戻って来てしまう人が多いので、ネットスラング的に引退って言葉が使われてる気もしますねw
私も最初はそんなつもりで(帰って来たくなったらすぐ帰ってきたらいいやって)この言葉を選んだ。
正直、そのある人からガチで引き留められるとは思わなかった…
あの数ある引退宣言たちは、人間関係の義務感から解放されるための発言だったのかな…と今では思えています。心機一転するためのメッセージの一種だったのでしょう。
「あいつ引退発言してもゲームしてるぞ」って叩く人たちがいますが、本当は放っておくのが良かったのかもしれない。
あるいは別に他人とのつながりがなくてもやりたい人なら自然に戻ってくるのでは。
終わりに
引退発言をすることにより、その一つの未練からは解放されたようなすっきりした気持ちになれる気がします。
義務感から解放されたところで感じたのは、SNSや人間関係など気にせずゲームなんだから自分のやりたいときにやりゃあいい、そういう結論になりました。